こっちのブログ更新は久しぶり。
最近、「女医ともこの診察室」というブログのメルマガを受信してる。
前からこのブログは気になってたけど、メルマガがすごくいい。
おそらくこの女医ともこさんは自分とちゃんと向き合って、逃げずに自分を掘ってその中で出てきた言葉だから刺さるんだろう。
ブログの中で、こんな記事があった。
生きていたら人は
自分を育てる時期が必ず一度は来るのだ、と
思っています。
神様のテストのように
自分自身を見直す時期が来るのです。
どんな答えでもいいから
自分の答えを書いて提出すること。
答案用紙が白紙だったら
テストは永遠に繰り返されるでしょう。
だって、白紙ってことは
「わからない」ってことだから。
「わかるまで、テストを出しますよ」
神様は、そう言ってるように思えます。
書くことは本当に大事。
わたしは同じことばっかり言いますが、
それほど、大事だからです。
京都に来て、転職した会社がいきなり潰れかけだった。
あれほど、「すぐにでも来て欲しい」と言ったのは嘘ではないけど「長い目で見てすぐにでも来て欲しい」というのは完全に嘘だった。
入社前に言葉にできない妙な「違和感」があったけど、これかー。と赤字続きの会社の成績表を見て思った。
社長は完全に社員のことなんかどうでもいいと思っているようで、入社10日目に全社員が集められてあと数ヶ月で資金が枯渇すると言った。
あほか。こいつ。人事部長は「だましたわけじゃないんだ。今は脱皮の時期なんだ!」と言った。でも具体策はこいつら持ってなさそうだった。
じゃんじゃん、人は辞めていった。
なんだかあほだなおれと思った。
悔しかった。バカにすんじゃねえよ。と思った。
いきなり営業は全員、出向扱いになって、関係会社に今はいる。
ブログを始めたのは、ブログがストックの収益になるという話を聞いたから。
でも、2年やったけど何にもならない。さらにバカみたいだなと思った。
でも、これはきっと「神様の宿題」なんだろう。
京都に来て、ずっと長年の課題だった「頭の中で過去の失敗や、自分の欠点などがループして暗い妄想にはまる」というのがなくなった。
次は自分のありのままを見て、そしてこの先をちゃんと考え、イメージして進もう。
今の自分の神様からの宿題の答えはこうだ。
夢は叶う。理想も追いかけることができる。でも周りの人や家族のこともちゃんと見るべき。そして感謝するんだ。
自分自身の内面や、実力と「理想や、夢」とのギャップが「現実的なトラブル」としてやってくる。
それは突き詰めると誰の責任でもなく自分自身の責任だ。
そのギャップ、現実的なトラブルを逃げずに見つめ、着々と行動することによって自分自身の中身を高め、変えて、それによって外界が変わるのだ。
もちろん、京都に来てからいいこともたくさんあった。最高な環境で家族がみな笑って暮らせてる。子供達もすくすく育ってる。
今日、こっちのブログにせきららに書いたのはこのツイートが刺さったから。
当たり障りないことをいくら話したり
— ともちん (@comuron1974) July 25, 2017
当たり障りないことをいくら書いたり
それを継続しても
何も変わらないよ。
当たり障りないことばかり、
言ったり書いたりしてる
自分のことを
みなきゃね。
ちょうど今、過渡期というか中途半端な状態。右に行くか左に行くか。
でも瓶の中からでようとして、でも安全な瓶の中でもぬくぬくと暮らせるように当たり障りのないことばっかり書いてた。それに気がついた。
変わろう。カッコつけてる場合じゃない。